コラム

く 苦労した甲斐があったなあと、自分でそう思っている。

苦労した甲斐があったなあと、自分でそう思っている。

2月13日に準看護師試験ガ終わり、少しほっとした日を過ごしていたが、久し振りの学校登校日の16日。みんなでテストの答合わせが行われた。
自信の無い私は、先生が伝えてくれる正解(正確には仲間の優秀な人たちの答)に対して、ドキドキしながら確認していく。丸の数がどのくらいか・・・不安が広がる。
合格ラインと言われている数を、何とかクリアしたようだ。(心の中で万歳)
だが、合格発表(3月10日)が行われるまで、気は緩められない。
でも正直、心は随分軽くなった。
応援してくださった皆さんに、心からお礼を言いたい。
大々的には発表当日を待たないといけないが、私の緩んだ気持ちを伝えしておきたい。
ところで、人の可能性とは幾つまで可能なのだろうか?
時々80歳過ぎの方が資格試験に挑戦や、100歳過ぎてもいまだ元気・・・など、マスメディアでお目にかかる。
高齢社会といわれて久しいが、その人の生き様はどのように培われるのか?
毎日お年寄りと関わっていると、その人一人ひとりの生き様に興味がわいてくる。
『認知症』と一言で片付けられない不思議なこと、山ほどあると思いませんか?
虐待がなくなりません。とても悲しい事です。
いいとは決して思いませんが、起きてしまう原因は無いとはいえない気がする。
それが一人の人生であり、その人が関わってきた人生そのものなのかもしれない。
老いていく肉体に、心や存在そのものを否定することはいけないと思う。
誰が好き好んで、『認知症』になりたいと思うものでしょうか!
やがて私も老いていく。誰にでも公平にやってくる事である。
老いゆく人や、介護に関わる家族や親戚、また、介護や看護を生業としているたくさんの人たち。
そんな多くの人たちの、心からの『人を慈しむ心』が失われない福祉社会が、少しでも早くやってくるように、私ももっと仕事に精を出していきたい。(生きたい)
それにしてもお年寄りの、笑うと刻まれているしわの数々、素敵だと思いませんか?
年を重ねて皺の無いのを望む気持ちもわからないではないが、私はその人の人生が表現されているような、皺のかもし出す表現、表情が大好きだ。
皺の無いお年寄り(いくつからかな?)なんて、私は気持ちが悪い。
笑い皺に、怒り皺、あってこそ、その人の人生がわかるし、魅力に繋がっている気がする。
皺の多い私の、ひがみだろうか?でも、出来てしまったものは仕方が無い。
これからは、皺の一本一本にも、磨きをかけよう。「自分の顔に責任を持つ」ことは、お迎えが来るまで止めることが出来ないのだから・・・サア~ぴかぴかにしよう!!!(笑)




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