お 沖縄に行ってきた。
手術の折、骨を支えるために鉄板を入れているということだったので、検問時に「ピー」と鳴るかとひそかに期待していたが?鳴らなかった。
これには、後日談がある。(笑)
ところで沖縄といえば、着いた次の日の朝、全国ニュースにもなった大地震が発生。 まだベッドの中、朝方の5時31分。 目が覚めないわけがない。 一瞬、「ここはどこだったっけ?」と、思うのと同時に、揺れている感触をなんとも言えない思いで感じていた。 結構、強い揺れである。震度4であった。 新潟地震を体験している私は、「うん、大丈夫だな」と頭の中で考えていた。 「宅老所・グループホーム全国フォーラムイン沖縄」の研修に参加するため、富山県内の仲間19人と一緒である。 研修の1日目から、地震の話で持ちきりである。 地震が少ない沖縄で、今までのわかる範囲の年数の中では最大らしい。 それに付け加えて、「チリの大地震による津波」、大変だった。 話題に事欠かない、3日間だった。 便数があまりないので、小松空港からの便。 2月26日から3月1日まで、3泊4日の沖縄。 研修内容もよかったが、そのほかの時間を有効に使っての「沖縄の過去を学ぶ旅」でもあった。 「ガマ」・「ひめゆりの塔」・「ひめゆりの資料館」など、沖縄の人たちが長年苦しんでいる歴史の重さを、生で感じることが出来た。 私は沖縄への訪問は4度目か5度目であるが、仲間の人たちはほとんど初めてとのこと。 ガマでの惨状を聞き、この目で見て、涙せずにはいられなかった。 今の自分の幸せは、沖縄の多くの人たちの犠牲の上に成り立っているのかと、胸が苦しくなった。 資料館での体験者の話は、「私が生き残った5人の中の1人なんですよ」といい、「大切なお友達が死んでいく中で、その体にウジが湧いてくる、耐えられなかったですね」「何で自分は生き残ってしまったのだろうか」など、自分を責めもしたとのこと。 「戦争は二度と起こしてはいけません!」体験者の言葉は重い。 沖縄での介護は、戦争体験を避けては出来ない・・との話である。 その人の歩んできた人生を聞き、その人らしさが発揮できる介護のケアを高める努力をしている、そんな報告があった。 今まで語ろうとしなかった、語ることが出来なかった戦争体験。 でも、ここへ来て、自分たちが命のある今、語らなければ皆さんに知ってもらえないと。 聞くことが出来た自分は、これから語る機会があれば、『見聞きしたこと・感じたこと』、しっかりと語っていこうと思った。
3月1日、富山に帰る仲間と那覇空港で別れ、一人東京へ。 3月2日に、今度は国会に行く用事が残っているためである。 県内選出の国会議員(党派を超えて)・与党、野党、選出県を越えての女性議員との交流と意見交換が予定されているのであった。 『みんなで国会にいかんまいけ』という会を作り、県庁で記者会見もし、県内の人に呼びかけ15人が参加。
国会の予算委員会、本会議、観ることができた。 その時のこと。 空港で「ピー」と鳴らなかった検査機械だが、国会に設置されていた機械が私の腕の金属を察知、「ピー」と鳴ったのである。 私が思わず「この腕です・・・」と差し出すと、検査官が探知機で腕に機械を近づけ、「ピー」と鳴った。 飛行場に設置してある機械より、国会の方が精密?と、思ってしまったが。 私は変に、納得してしまったのである。 機械にも、自分の腕にも。
3月2日、羽田より無事に帰ってきた。 富山空港が霧で着陸できない可能性があり、その場合は羽田に引き返しますという条件付。 が、無事着陸。夫の迎えでおらとこに着くことが出来た。 4泊5日の長旅は、ひとまず無事終了。 いつものように朝から夜まで、おらとこ・おらとこ東の利用者さんとの日々がまた、始まった。 いつになったらこの右手、以前のように使えるのか・・・。 リハビリに励もうっと!!!
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