く 苦しみながら、悩みながら、
時にはどうしようもなく途方にくれながら、「認知症」の人と毎日暮らしている家族が、この近くにもいると思うが?
辛いこともあるだろうに。息をぬく時はあるのだろうか?
仕事柄、「認知症」といわれている人たちと、毎日過ごしている。
でも、その時間だけで済んでしまう自分は、解っているようで家族の思いや本当の気持ちを理解しているのだろうか?
3月20日から22日まで、奈良県桜井市に出かけてきた。 熊本県山鹿市で実施されている「地域密着型ふれあいホーム」の取り組みと、「富山型」の実践を紹介するために呼んでいただき、話す機会を与えていただいた。
私は個人的に、奈良は大好きである。 何故かその土地に立つと、ホッとする。 「私はきっと東大寺の大仏さんの、生まれ変わりかもしれない?」と、冗談に言うほど心が落ち着く。 少しだけ時間を作り、いくつかの名所を訪ねてきた。 いま、言いたいことはその旅の中身ではなく、頂いてきた本の中身を知らせたい。
知っている人もいると思うが、「満月の夜、母を施設に置いて」という題名の詩の本である。
詩・藤川幸之助絵・松尾たいこ 対談・谷川俊太郎 出版・中央法規(定価1,500円税別) 奈良からの帰り、列車の中で読み切ってしまった。 涙が止まらなかったが、隣の人に気付かれないように何度もそっと拭いた。 その位リアリティーがあり、胸を打つ。 一つ紹介したい。
~ お む つ ~ 「満月の夜、母を施設に置いて」より
母が車の中でウンコをした 臭いが車に充満した おむつから染み出て 車のシートにウンコが染み込んだ 急いでトイレを探し 男子トイレで 尻の始末をした 母を立たせたまま おむつを代える 狭い便所の中で 母のスカートをおろす まだ母は恥ずかしがる 「おとなしくしとかんとだめよ」 と言って 母のお尻をポンポンとたたいてみた 子どもの頃のお返しのようで 少し嬉しくなった
母のお尻についたウンコや 性器に詰まったウンコを ティッシュで何度も何度も拭いてやる かぶれないように拭いてやる 母が私のウンコを拭いてくれたように 私は母で 母は私で
母の死を私のものとして見つめる 私の死を母のものとして見つめてみる 母と一緒に死を見つめてみる 狭い棺桶のような長方体の 白い便所の中で
鍵を開け母の手を引いて 便所から出る そして 左手で母をつかまえたまま 私も便器に向かい 右の手で小便を済ませた
「誰のために生きているのか、母さん・・・」アルツハイマー病になった母に注がれる、切なくて哀しくて優しい詩たち。
介護は、どうしてこんなに無駄で貴いのだろう。認知症は、どうしてこんなに腹立たしく愛おしいのだろう。母は、どうしてこんなに小さくて大きいのだろう。(帯の言葉) 何も付け加える言葉がない。 どんな言葉も真実には相応しくない。胸にズシンと・・・。
コメントを入力する
※コメントを投稿するには、ログインをしてください。 ※会員登録がまだの方は、今すぐ無料登録! |

|